北一商店街について
北町の今と昔
川越街道の「宿場」として栄えた北町。練馬唯一の宿場・下練馬宿は江戸城と川越城を結ぶ川越街道が通り、江戸から大山・富士山へと続く大山通が分岐する交通の要所でした。現在の東武練馬駅付近、旧川越街道沿いの商店街が当時の宿場町にあたります。
江戸時代には参勤交代する川越城主の大名行列、旅人たち、宿場から宿場へ荷を運ぶ人や馬が川越街道を通り、宿場はにぎわっていました。
かつての「宿場」を偲ばせる歴史の名残は、街や北町に暮す人々の中に今も息づいています。
【大正~昭和】 商店街の発展と周辺交通の整備
大正3年5月1日、街の北側に東上鉄道(現在の東武東上線)池袋~田面沢間が営業開始し。昭和初期になると、交通手段は徒歩から自動車となり、川越街道も東京都内において道路拡張工事がなされ、現在の北一商店街は旧川越街道に位置する形になりました。
北一商店街が繁栄の街としてスタートしたのは、昭和23年に40名で北一商工会が創立され、初代会長に豊島徳英氏が就任したのに始まる。 昭和49年、北一商工会が北一商店会と改称し、2代目会長内田松五郎氏の手で創立20周年式典が行われた。昭和37年に西友練馬北町店が開店、地元のマーケット3店舗も開店し連日商店街は客で溢れていた。
【昭和】 商店街発展への取り組み
北一商店街組織も3代目会長飯島将行氏により、昭和49年7月、出資金326万5千円で北一商店街振興組合として法人化し、130店に躍進していった。 4代目理事長として大木八十右衛門氏は第2、第4土曜日をみのり市として定着されるなど沿線における不動の商店街として発展させるに至った。 5代目理事長奥墨正氏、6代目理事長有山政行氏は、商店街の活性化、アーチ街路灯の新設などの実現に努めた。 21世紀に入り7代目理事長は佐久間一男氏、現在は第8代目理事長として島野善一氏が就任し、消費不況の経済情勢を会員の努力とやる気で商店街の活性化に取り組み、会員及び地域に役立つ商店街を目指している。